こころのティータイム

5月29日に「ほんだ母乳育児相談室」で行われた「こころのティータイム」に同席をさせて頂くことが出来ました。
ティータイムでは「エンジェルカード」を引いて、皆さん思い思いに話しています。ここでは「話のコシを折らない」「分かち合い」がルールとなっていて、安心して言いたいことを言うことが出来ます。
 
被災地の生の声をお伝えします。以下、ご覧下さい。

【参加者】
本田先生
Aさん:子供2人 4歳、2歳
Bさん:子供2人 1歳、2歳
Cさん:子供3人 3年生、1年生、8か月
Dさん:子供3人 中学1年、小学5年生、幼稚園年中組

ティータイムテーマ『震災後の私たち』

本田先生:
震災の話をしだすと止まらないお父さんがいる。お互いに震災の話をすることはない。しゃべることは今になって大事なことになってきたと思う。
私自身は元気な部類の人間だと思う。自分をケアすることができない人たちは今、とっても大変な状況に置かれていると思います。そんな中で、私は人をケアする人たちに接することが出来て、今元気でいられることがすごく恵まれていることだと感じています。

Aさん:
津波で住宅が全壊。実家にしばらく住んだり、仮設に住んだりしてしばらくしのいだ。今は新居で暮らしています。
被災して捨てられないものが倉庫にあります。子供の日記も泥だらけになったままで、洗ってしまうと破れてしまう気がして、、、いまだにそのままとってあります。どうすればいいか未だに悩んでいます。(捨てることは考えていない)
子供が3歳の時に被災したが、その時に頂いた服が、今下の子が着るようになってきたんです。その時に頂いた皆さんに助けて頂いたありがたい気持ちが蘇ってくる。同時に、当時の様子が思い出されて、複雑な気持ちになり、癒えていないことが自覚されますね。子供には「もう津波は来ないんだよ」と声をかけますが、いつまでもそうやって言っていてはいけないな~と思いつつ、シュンとなってしまう自分がいます。

Bさん:
当時、アパートを借りて住んでいましたが、現在は夫の実家で同居しています。でも、別居をするためにアパートを借りて家族で住みたいと望んでいた。
来月、部屋を借りて別居が実現することが出来ました。被災に関係なく、長男の嫁なので同居は必然と考えていました。自分のやりたかったことを、いろんな理由をつけて出来ない。出来ない。とずっと思っていました。震災前だったらもっとやりたいことを自由にやっていたと思いますが、震災後3年経ってやりたいことが出来る!っていうそういう気持ちになれた事が、、、「気持ちの復興」を考えられるようになってきたと思います。新しいスタートが切れて、これから色々なやりたいことを実現していきたいです。
津波で生き残った自分の命、「なんで生き残ったか?」っていう生き残されているからこそ、やりたいことをやってとか、出来ることをやっていこうとか、前向きな気持ちになれてきたと思う。

本田先生:
ティータイムって、こころの葛藤をみんなで分かち合いながらずっとやってきたので、それぞれの歴史を知っています。そういう歴史をここで言葉にすることで、気持ちが強くなってくれた気がしています。こういう場を提供してくれていることはすごくありがたいと思っています。

Cさん:
1階部分が震災にあい、2階に住んでいました。主人の実家は全壊しましたが、おじいさん、おばあさんは無事で、うちの2階に住んでいました。しかし、おじいさんは一人で仮設住宅に出ていきました。おばあさんは孫たちの世話と土日におじいさんのお世話に飛び回っています。おじいさんは嫁の作った料理は食べられない、と。

本田先生:
震災を機に「絆が強まる」というのは一瞬で、その後、財産が無くなったので行くところが無いと、苦しんできているというのが実情です。最初はみんなですごく頑張ってきたが、心身が疲れてくるといつの間にか違う家に住んでたりするようになります。

Aさん:
私は実母に「早く出ていけ!」と言われて同居が5か月しか持たなかった。どうしてそんなこと言えるの?出ていくところもないし、、、と本当に悲しくなった。

Dさん:
当時、下の子が1歳。直ぐ2人の子供たちを迎えに行き、近くの中学校に1週間避難生活をしていました。
「子供ってすごいな!」って思いました。食べるものが無いのにいつも元気。周りの人から頂いたりするおかしを食
べて、友達を見つけて「探検してくる!」とか言って元気だった。
とにかく寒くて寒くて仕方がなかった、16時、17時の日没で就寝しますが(電気も点かないので寝るしかない)、10分おきに起きてしまい「今何時?今何時?」という感じでした。とにかく夜がひたすら寒くて長かったです。
水が引いてきて、なんとか自宅に帰り着いたのですが、子供が「今日からこっちなの、つまらない!」と。

子供が誰一人といなくなったこの地域で、これから先の子育て(この地域で自分だけ子育てをしなくてはならない事)がすごく不安になりました。町内では半分近くの世帯が他地域へ疎開したようで、子供の姿は見られなくなりました。
一戸建てに住んで3年目で震災に遭いましたが、こんなところに引っ越してきてしまって、人が住めるような街に戻るとは思えなくて、これから先の生活がどうなるのだろう?とすごく心配になりました。
震災当時の話もそうですが、自分の気持ちを言葉に出して話すということは、自分の気持ちの整理をするうえですごく大事だと感じています。

本田先生:
ティータイムをしながら、お悩みが深い方については東京のNPOのカウンセラーに繋げることもあるのですが、「まだ震災の話が出てこない」といいます。阪神淡路大震災の時もそうだったが、3年後から心のケアが本格的に始まった。と言っていた。だから、いま心の支援をしたいとお申し出を頂いています。
私たちは、震災の話にふれないようにしているのかも知れません。

Dさん:
また、話すことがいっぱいありすぎてどこから話していいかという部分もあると思います。それぞれ、ドラマを抱えているのが皆分かっているのであえて話が出ないのだと思います。また、私より苦労した人が沢山いるので「自分の事なんて大した苦労ではないので気が引けて話せない」申し訳ない気持ちになり話しだすことが出来ない。という部分もあります。

本田先生:
「こころのティータイム」は心の整理をする良い場所になっていると思います。長く続けていると皆さんが変わっていくところを見させてもらってラッキーだと思います。ここで培った元気だったり前に進む気持ちとかを、職場とかにもっていってくれるとその職場でなんらかの影響があると思っています。そう考えると、みんなみんなに手が回らなくてもここで元気をもらったママたちがまた自分たちの場に帰っていって、その力をまいてくれると効果的なことをやっているという気になります。
少人数でしたが、確実に誰かのためになっている時間だったと今では思います。

Aさん:
仕事を辞めて、後ろ向きで暗い気持ちだったのですが、ここで前向きな考え方に変わってきました。そんなこともあり再就職を決意しました。ティータイムには、ありがたいと本当に感謝しています。

【桑原感想】
こころのティータイムを体験させて頂きました。本日は4組(4人)のママが集まっていましたが、全員お子さんを預けて来たそうで、前回と違い、さりげなく聞こえるBGMがちゃんと聞こえていました。お話の最中もしっとり、まったりという感じで落ち着いてお話を聞くことが出来ました。
今回は「震災後の私たち」というテーマで皆さん語って頂きました。普段震災の話をすることはないそうですが、皆さん一旦話すと止まらないとの事。また当時の様子を思い出して涙ぐんでしまうママもいて、生々しい話に私の涙腺も緩んでしまうのでした。

現地で取材させていただいてよく思うのですが、テレビや新聞では「家族の絆が強まった」とか「離れ離れで暮らしていても心では繋がっている」とか、わりと美談を聞くことが多いのですが、実際は日を増すごとに生活や家族に対する不満が増し、皆さんストレスでお悩みになっているとよく聞きます。本田先生やママが言っていましたが、3年経ってようやく「気持ちの復興」に向かって頑張ることが出来るようになってきたのではないかとの事。人によっては3年が長いと感じる方もいると思いますが、恐らく3年という短い期間でこのような心の変化?余裕が生まれたのは、心のティータイムの大きな成果であると感じました。本田先生の少人数制サロンは「確実な元気発信基地」になっていると思います。人の人生やココロを変える(ココロを癒す)ということはそう簡単に出来ることではないと思います。先生本来の育児支援に加えココロの支援も同時に行ってしまう、本田先生にこれからも頑張って欲しいと強く感じました。ママたちも無理せず頑張って下さい!
桑原慎一

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