DSC_1079

最近、卒園シーズンからか我が家にママ友がちょくちょく来てくれます。

あるママが、「子どもがイラつくと私に八つ当たりするようになってきた。」とか、違うママも、「子どもが私の言うことをちゃんと聞いてくれない!」とか、、、
耳にしました。

女性は気分の浮き沈みがあったり、時には育児を任せっぱなしにされてしまいがち(ヒドイと家事も)なので、やっぱりパパの育児参加が健やかな子どもを育てる上で必須ではないかと思います。(ママへのサポートも含めて)

その話から、以前読んだ本にヒントがあるのではないか?と思い、読み返して見た。
以下、本からの抜粋で長くなりますが、「参考になった!」と思っていただけると嬉しいです!

————————————
~お父さんの役割ってなに?~

『子どもを抱きしめる母性が自己肯定感を育む』
子どもの自己肯定感は、まず赤ちゃんのときに自分の欲求をきちんと受け止めてもらうことから育ち始めます。泣けば誰かがやってきて、自分の居心地のよい状態にしてくれる。空腹を訴えれば、それに応えて空腹から救ってくれる。この世界から反応されている感覚が、私たちの自己肯定感のもとになります。
しっかりと子どもを抱きしめる手と、その手を信頼しきって身を預ける子ども。この関係が親子の関係の原点となり、子どもにとって人間関係の原点となります。
子どもの欲求には、空腹やオムツが濡れた不快感のような生理的なものにだけでなく、精神的なものもあります。誰かと一緒にいたい、おしゃべりしたい、眠りに落ちるまで抱いて安心させて欲しい・・・といろいろです。
自分が求めたときに誰かがそこにいる。子どもはその相手を信頼し、自己肯定感を育てながら、人を信じる力も身につけていきます。
また、乳幼児だけでなく、成長する過程で、親からどのような言葉を受け取るかも、子どもの自己肯定感を育てる大きな要素となります。
母性のしっかりとした手に抱きしめられる安心感に欠けていたり、否定的な自己イメージを育ててしまった子は、何かにつけて消極的で臆病です。

万能感は、自分は万能であると思い込む感覚です。自分の欲求に応えて、親がどんなこともかなえてくれるとき、子どもは自分が万能であると思い込むのです。自己肯定感と万能感は一緒に育っていきます。
万能感は、いずれ適切にシェイプアップされる必要があります。適切にシェイプアップされた万能感は「有能感」として、自分は出来る存在であるというセルフイメージに育っていきます。

『母性だけでは万能感をシェイプアップ出来ない』
母性だけで子どもを育てるのは危険です。子どもの万能感をシェイプアップできないからです。母性は子どもの欲求を察し、欲求に応えます。不快を感じないように子どもを守るのが、母性の仕事です。
ですから、母性のみに包まれて育つ子どもは、その環境が当たり前になってしまいます。その環境においては、自分は万能ではないという当たり前のことに気付かず、ゆがんだ認知を持って育つことになります。
母親も普段は、時に父性を発揮して子育てをします。ところがよく耳にするのは、母親がどんなに「ダメ」と言っても聞かないのに、父親が一言「ダメ」を言うと、子どもによく伝わるという現実です。「私はなめられているんでしょうか」とお母さんは言います。
その通りです。実は、母性の強い母親が頑張って父性を発揮すると、どこかにほころびが出ることがあります。ちょっと駄々をこねると、母親は「仕方がないわね」と、自分の言ったことを自分で否定するような妥協をしてくれることを、子どももよく知っています。
これを繰り返している間に、子どもは母親の「ダメ」を信頼しなくなります。そうは言っているけど、言っているだけで、自分次第で母親の意見を変えることが出来ると思ってしまうのです。
結果として、母親のこの一貫性のなさは、子どもの万能感を増長することになります。
何が出来て、何ができないかのかという自分に関する現実は、母性から離れて、一人の人としての体験を積まない限り見えません。自分の課題をまかされて、その課題と向き合うときのみ、自分が見えるのです。
そのためには、父性の介入が必要です。父性に誘われて、母の胸から出て、自分の力で物事に当たったとき、子どもは始めて「自分」を体験出来るのです。自分には出来ることがたくさんあると同時に、万能ではないという現実を体験します。

『父性はコーチとなって子どもの「できる」を育てる』
子どもに考える機会を与え、試す機会を与え、子どもの「できる」を増やしていきます。
母性にとっては、時にそれが大変難しく、子どもに対して至れり尽くせりで世話をして、子どもの生きる力を育てないのです。「自分ではできないからかわいそう」と思って、ついつい手を出してしまうのです。
できそうなことは、「できる」と信じて子どもにまかせ、子どもの「できる」を育てていく。それが父性に出来ることです。

『「自分で出来る」の次に自律を教える』
「自分で出来る」の次に教えるのが「自律」です。
自律とは、自分をコントロールする能力です。自分をコントロールできるひとは、周りとチームを組んで、人とうまく一緒にやっていくことができます。人とともに幸せに生きることができるのは、自立するうえで大変重要な能力です。
子どもが自分をコントロールできるようになれば、例えばむやみに暴力を振るったり、長時間ゲームにふけったりというように、人間関係や健全な生活を不健康な状態におとしいれることが防げます。それはつまり、やっていいことといけないこと、やらなけれないけないことの区別を教えるということです。
やってはいけないことを教え、それをさせないようにするためには、子どもを束縛しなくてはなりません。
子どもが自由にやりたいことをやらせるのと異なり、子どもを束縛し、やりたいことを我慢させるのはかわいそうなことです。やらなければいけないことを我慢してやらせるのも同じです。母性には大変難しいことです。
父性はそれが必要なことであると分かれば、心を鬼にして、子どもに「いけない!」と言い、子どもが泣こうがどうしようが、「ダメなものはダメ」と言い放てるのです。
それは、子どもと自分を分離していなければ出来ません。「かわいそうだ」と思ってしまっては、いけないことをいけないと教えることはできないのです。
母性が許すところを、父性は許さないのです。あくまで「いけない」と子どもに我慢を求めます。
つまり子どもに対して、いけないことをしないように、あるいはしなければならないことをするように、限界を設定してやれるのです。

『「いけないことはいけない」と限界を設定する』
そこで必要となるのが「限界設定」です。子どもが幼いうちは、親が子どもを自身に代わって、積極的に限界をもうけてやらなければならないのです。「やってはいけないことはやってはいけない」と教えるのです。
幼いときの限界設定は、それほどむずかしいことではありません。なぜなら、子どもの年齢と子どもの抱える問題の大きさは比例するからです。幼い頃の子どもの問題は小さく、家庭において解決できることがほどんどです。
だから、幼いときほど、父親がそばにいて、直接的に、時に母親を通して、子どもを見守ることが大切なのです。
自分の中に怒る感情を否定的に表現するとき、返ってくるものは否定的なものしかないと教えることが大切です。自分勝手な気晴らしやわがままは、周りに通用しないと教えることが重要です。
子どもの気質によって態度は異なりますが、気質の激しい子どもほど、どこまでできるかの限界を探るものです。親の反応を見ながら、親を試すのです。
そこで親がはっきりとした限界を見せないと、子どもはどこまでもぐずぐずと否定的な態度を見せます。長くそれをやらせるのは関心できません。その態度が、その子のくせになってしまうからです。子どもも決して幸せではありません。
親がはっきりと限界を示すことで、子どもは安心感を得ます。何をやってはいけないのかということより、何をやっているときに親が確実に受け入れてくれるかという安心です。

『限界設定をするときに大切なこと』
限界設定をするときに大切なことが二つあります。
一つは愛することです。子どもを愛する気持ちで日常的に接しているからこそ、限界設定は機能します。子どもが愛されていると感じない相手からの限界設定は、ただの意地悪ととらえかねません。
大切なことの二つ目は、常に一貫した態度を取ることです。
子どもは原価設定を喜びません。ただ欲求に従って、欲しいものを欲しい、やりたいことをやりたいと言っているのに、それをいけないと言われるのですから当然です。そのとき、子どもの試しに乗せられて言うことを変えていると、子どもは安心できません。親の原則をはっきりと示し、それを曲げないことです。

『父親が子育てに関わると子どもは変わる』

息子が5歳の時、気に入らないことがあると、私を殴ったりするようになりました。気に入らないこととは、友達とけんかしたときや、保育園の先生に注意されたとき、私が公共のマナーについて教えたとき、などです。
そんなときは、誰が悪かろうと関係なく、その矛先が私に向かってきました。暴力は他人に向かうことはなく、ただただ母親である私に、感情のはけ口はこことばかりに向かってくるのです。
私は息子の行為に戸惑いました。私も夫も、息子を殴ったり蹴ったりしたことはありません。生活の中に暴力がないのに、なぜ息子が暴力を振るうのか理解できなかったのです。
そこで、ここは父性の登場だと思い、夫と話し、協力してもらうことになりました。「お父さんは怖い存在」という役割を担って貰ったのです。
私は、今までの困った状況を再度夫に説明し、父親の役割について話し合いました。夫は納得してくれ、協力を約束してくれました。彼は普段とてもやさしく、怒ったりする事の無い人です。
その日から、夫の行動は変わりました。
息子の殴る蹴るの行為を、やさしく諭すのではなく、「こらっ!」と叱るのです。「ママを殴るな!くるならオレにかかってこい!」と5歳児相手に本気です。夫のそんな声を聞くのは初めてで、私がビックリしたくらいです。
その後、夫はなぜ叱ったのか理由を話し、殴られたママはどんな気持ちになるか、どうすればよかったのかを理路整然と息子に伝え、話し合い、場をおさめました。
私は一切、口を挟まず、ただ聞いていました。息子が私を味方につけようとしても、私は夫の見方という立場を崩しませんでした。
何回かそんなことが続きましたが、いつも夫は笑顔で終わるように心がけてくれました。息子は変わりました。気に入らないことがあっても、私を殴ったり蹴ったりしなくなり、自制できるようになったのです。

この5歳の男の子は、自分のイライラをうまく処理する方法を知りませんでした。そしてそれは、何でも許してくれる母親に向かったのです。彼は知っていました。母親以外の人にやってはいけないことを。だから母親にだけ向かったのです。
お母さんは、やってはいけないことがあると教えるチャンスだと思ったのです。そしてそれには父親が適役であると思いました。
母性は自己肯定感を育てる重要な役割を持っていますが、一方で3歳を過ぎた子どもにとっては、万能感を膨らませる危険な要素にもなります。どこかではっきりと父性を示すことで、十分に愛されているけれども、いけないことをすると許されることはない、ということを教えがほうがいいのです。
先のお母さんは、「お友達のような関係から、父子(上下かな?)の関係が築かれたように見えます」と語っています。
これは、まさに子育てにおいて重要なことです。親子は友達ではありません。人間としては対等でも、親として、子どもを導く者として、親は自覚しなければなりません。
子どもに何をやってはいけないかをはっきり教えることです。これは父性の仕事。多くの場合、お父さんの仕事なのです。

『父性と母性の役割ーまとめ』
子育てには母性と父性の両方が必要です。
母性は、子どもの命を支える自己肯定感を育むという重要な役割を果たします。
ところが、母性だけで育てると身の程知らずを育ててしまいます。いわゆる甘やかしすぎの子どもになって、、何でも自分の思い通りになると勘違いするようになるのです。
母性のもとにおいては何でも思い通りになるのに、そうならない現実と出会うと、彼らは思い通りにならない世界から距離を置き、自分の殻に閉じこもってしまいます。引きこもりの一つのケースと言えるでしょう。引きこもりは母の子宮に帰った状態であると聞いたことがあります。
父性は子どもに自立を求めます。むくむくとした母性の腕の中から、一人で立ち上がることを要求するのです。
何でもやってもらって楽をするところから、自分でやってうまくいかないことを繰り返し、最終的に自分で「できる」を体験させるのが父性の仕事です。
うまくいかないことを繰り返す中で子どもは、自分が万能でないことを知り、適切にセルフイメージを形成していきます。
同時に、すべてを許し包み込んでくれる母性と異なり、やってはいけないことがあることを教えるのも、父性の仕事です。社会生活を営むうえで重要な要素です。

『お父さんだからできる こどもの心のコーチング』菅原裕子著

————————————

私は、この本を読んで、なるほど!と思って自分なりのやり方で実践してきたつもりです。
巷ではたまに、「パパは友達のような関係が楽しい!」とか聞いたりしますが、私は、親子の間に境界線が無いような関係になりたくありません。
遊ぶ時には、親も童心に帰って子どもと一緒に友達のように遊ぶことは、私もやりますし好きです。ただそれ以外は子どもの手本になるような振る舞いをしなくては、いざ叱ったり、教えをするなどの時に整合性がつかなくなり、「何でぼくだけ言われなきゃいけないの?」と納得してもらえません。
やっぱり、子どもに「ビシッ」っと言うのは父親の役目だと思います。そういう意味では、普段から子どもに突っ込まれないような生活態度でいなくてはなりません。

こういうことを含め、妻の役割、私の役割。夫婦で子育てについてしっかり相談しながらやっています。
今のところ順調にすくすくと育ってくれていると思っています。

write